中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

ヒノノニトン

 

人知れず首を絞める行為が異常だと思えないんだったらおかしいとは思うよ本当に。
スマートフォンを首から下げる硬い素材でできた紐で締める。それによって首にできた痣をファンデーションやコンシーラーで隠すことでリカバリーしようとするところまでがセットで異常だ、たぶん。

たまに指輪が窮屈なのは浮腫んでいるからで、浮腫んでいるのは昨夜普段より少し飲酒量を増やしたから(ポイントは''増えた''んじゃなく''増やした''点)で、飲酒量を増やしたのは別にストレスとかじゃなくてただ寝るまでに時間ができたからで、時間に余裕ができたのは昨日が日曜日だったからだ、と考えるとあら不思議、「指輪が窮屈なのは昨日が日曜日だったからだよ」となる。
こんな不思議なことは無い。この言葉だけを他の人に言うならば、わたしはとんだ思考の飛躍をしている人だと思われると思う。

毎日おかしいことだらけで退屈しないなぁと思ったり思わなかったり。

毎日が誰かの誕生日だから毎日誰かに向けてお誕生日おめでとうと言ってもいいなと思うと、なんて平和な世の中だと思った。
毎日誰かしらが誕生しているということはその子の親はきっとそれ以上ないくらいに感動と幸せを噛み締めていて、やっぱり世の中は幸せでいっぱいなんだろう。

ヘーゲル弁証法というものがある。ざっくり言うと「物事は相反する2つの物事で成り立っている」という考え方(考える方法)で、つまり幸せがあるなら不幸せもある。その不幸せがわたしに少しでも降り掛かっていたらと考えると腹立たしい。
だがよく考えてもみろ、じゃあわたしの幸せの反対の分は別の誰かに降り掛かっているかもしれないのだ。
これがトントンというやつである。(たぶん)
世の中トントンなのだ。

わたしは色んなことを必要以上に考えすぎだと思う、本当に。そしてこれも、わたしが考えてばかりいる分どっかの誰かはなあんにも考えていなかったりするのだ。


こういうテイストの文章を書くのもたまには楽しいですな。

せめて自分が考えることを好む性格でよかったと思う午後2時過ぎである。