中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

真っ向勝負


わたしたちの人となりは信じるもの・信じたいもので構成されている。自己統一性がそれらによってできているということ。


初めからいつも何か担保されているから無償のものを受け取れないのは、そもそも受け取らないからだ、でしょ? だって担保されているから。
いつもどこでだって、与え合うことで初めて築かれる信用ほど虚しいものはない、金庫だよただの。
手を伸ばしても届きそうにない。
雲を掴むくらい空虚なこと。視えてるのに無い。あの人もここもどの人も。せめて雷を落としてくれる人の方がマシなのかも。

人と関わり出した瞬間から人格障害が顔を覗かせてきて、自分でも驚いた。隔離期間に感じなかった不穏の波がすぐに押し寄せて、「そういうとこだよ自分」ってなった。そしてまた誰も見えない所で静かに殴るなど(実際は静かじゃないし物音がしている)。でもそういうのも消えるから、虚無に。わたしの耳には勿論、誰の耳にも届かない。


空虚感ってさ、満たされることを知っているからこそ感じることだよね。それを知らなければそもそも感じないんだと思う。そう思うと満たされることなんて知らなきゃよかったって思うよ。壁に穴が空いて埋まらないなら、そもそも壁なんて無ければよかったんだって。空く穴の余地なんて無けりゃいいのに、どうして満たされてしまったよ過去の自分。

わたしも人間なんだなって思った、それもたぶんかなり人間くさいタイプの人間。

わたしが信じるもの、信じたいものって何だろう。せめて裏切らない物質的な、アルコールや薬か何かでもいいだろうか。
自分以外の人間との繋がりを信じられる日は来るだろうか。そのときわたしは満たされるだろうか。
空いては閉じを繰り返して埋まるような穴だろうか。その作業を繰り返しても、次第に綻んで壁自体がボロボロになるんじゃないかな、そう思わせてるのは誰だよ、出てこいボケカス。

かかってこい。って言いながらリングに上がらないのはいつも自分なんだけどね。

弱虫でごめんなさい。