わたしは今日、カマキリを殺し損ねた。
目の前にカマキリが道を横断していた。こいつの生死は自分が掌握しているという事実を理解し、しばらく彼と自分の心を観察していた。踏み潰そうと思ったけれど、自分の靴が汚れるのが嫌だったから何かそのへんのゴミを被せて踏もうと思った。被せた途端、彼はそさくさと早足で逃げて、フェンスの向こう側に行ってしまった。手ならず足の届かない場所に逃げられて、わたしは彼を殺し損ねた。何も、単純な残虐性を持っていたわけではなく、命の尊さとは重みとは、蚊やハエは殺せてもカマキリやカブトムシとなると、さらには犬や猫ひいては人間も、殺すのを躊躇われるのは何故なのか、たくさんのことを考えた上で試みた。
彼は今日、運が良かっただけだろうか。
わたしは自分の残虐性を測っただけだ。
憎悪の塊みたいな気持ちを大切にしたいときがある。負の部分なんて、自分以外誰も大切にしてくれるはずがないから。
人に話を聞いてもらって助かるくらいの気持ちなんて、むしろ要らないとも思う、情けないから。
助かりたくない、自滅したい、つらくて苦しい気持ちを味わってつらくて苦しくなりたい、そういう部分を気に入ってる自分がいる。
大切にしなければいけないものをあえて大切にしないという心の自傷行為
破るなら淡々と、壊すなら堂々と。
そう思ってわたしは今日、描いた絵を大切な人の前で破って裂いた、絵と心を。
まともじゃないからそこにいるくせに、認められないならせめて甘えるな、気持ち悪いのが気持ち良いんでしょう
人殺しを嘲笑う人殺しなんかいない?
じゃあ馬鹿にする限り、わたしはあの子みたいな行動を取れない。
言葉が虚無に消えないように、伝わらないから言ってるし、「伝わらないからせめて言葉にして」って、そう言った。
まるで桜貝のように脆くても正直であり続けるために、悲しませて傷つけることに耐えるより虚しいことでも、もう涙を流したくない。
せめて軽率な気持ちでやんなさい。
そんなのは強さじゃないってわかってるのに
どんな理由でどんな動機でどんな言い訳したって、踏みにじって軽視して裏切ることなんか赦されていいわけがない。
わたしはわたしを許せない。