中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

省エネ

 

何でも言っていいよって言うけど、じゃあ「してほしくないだろうなとは思いつつも心配だから言ってしまう」とかよく言えるな。

わたしがしてほしくなさそうなことを予想して、でもそれをやってしまうという些細であってもその事実が、わたしが何か言うことを諦めさせている。

だって言っても同じようにやるんじゃないかって。

「言ってくれたらやめる」で、言わなければやるのか。してほしくなさそうなことを予想できるのに、その予想したことをしてるなら、同じじゃないか。その積み重ねが、わたしが思っていることを口にしなくなる理由に充分足るなんて、考えもしないのだろう。

「心配してるよとか言われるのも、本当は嫌なのかもしれないね」に対して「そんなことないよ」しか言えなくさせているのは、そっちじゃないのか。とかって思うけど、でもなぜか押し付けたくなくて、自分が選んだことだと言い聞かせている。

相手のせいにすると結局自分がつらい。

というかもう面倒くさい。

思っていることを口にして生まれる相手の感情についてわたしが何か感じるのも、つらい思いをしてでも何か話し合うことも、何か言われることも、言われて起こる自分の怒りや悲しみや苦しみを感じることも、考えることも、本当にどうしようもなくしんどくて。だったらそれらを放棄した方が単にラクである。

何も言えないことで苦しんでるんじゃなくて

何も言わないことでラクしてるとさえ思う。

正当化しているだけかもしれないけれど、そういうラクの仕方が良くないのもわかっているけれど。

本当は向き合わなければいけないようなことをするには、本当にただ疲れてしまっている。