中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

ノンフィクションのようなフィクション。

 

   私と恋人が恋人関係のようになった明確な時期はない。もしかしたら最初から最後まで恋人関係じゃなかったのかもしれない。

   恋人はふわふわだったし、肌の匂いは私をこれ以上ないほどに安心させた。私はいつも甘えていた。絶大な信頼を寄せ、私にとって絶対的な存在だった。
   外へ出る時はいつも手を繋いだ。街に出ても周りの人間に構わずキスをした。エスカレーターに乗っている時はしやすかったし、恋人が一段上に乗っているときは少し屈まなければいけなかったから、意地悪でキスしてと我儘を言ってみたりもした。初めてキスをしたのは旅行で泊まったホテルだったから、普段と違うベッドでドキドキしたし、キスをしていいか聞いた記憶がある。しばらく経ってからは、手を繋ぐのもキスをするのも当たり前になっていたかもしれない。唇がひりひりするほどキスをしてもし足りなかった。
   手を繋いで色んな場所へ行った。繋げるように荷物を反対の手でさりげなく持ち替える優しさがとても好きだった。私の家へ泊まりに来て帰る時、百均のホワイトボードにメモを残して帰るのが、嬉しかったけど寂しさも倍増するから本当は少し嫌だった。家にいるときはいつも身体をくっつけていた気がする。私より少し高い体温が心地良かったし、どこにも行かないでほしいと思った。
   初めて身体に触れたのは恋人の家だった気がする。緊張しすぎて正直あまり覚えていない。でもなんとなくだけれど、これが愛だと強く確信した。恋人の素肌にずっと触れていたかった。私の手が冷たくて申し訳なかったけれど、お腹と背中に触れている手のふわふわな感触が愛しかった。
   恋人が他の誰かと喋るのがたまらなく嫌だった。私じゃない誰かに私の大好きなその笑顔を向けると思うと気が狂いそうだった。その時間があるなら私と喋っていてほしかったし、笑顔は私だけの特別にしておきたかった。
   この人のためなら何だってできると思えた。大嫌いなトマトも食べるだろうし、薬だってやめようって思えたかもしれない。だから死のうと思った時、本当に自殺未遂を犯してしまった。それが恋人の"ため"だったらよかったのに、恋人の"せい"にしてしまった。そんな自分が嫌いでたまらなかったし、その記憶が今も私を縛り付けている気がする。もう誰のことも愛せないのかもしれない。死んでしまうから。でももしかしたら、まだ恋人のことが好きだからかもしれない。本当のところなんて私にもわかっていない。
   でも、一生で一番愛していたし、私が愛を知ったお話。