中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

受容と回避

 

できないことから逃げてきた。

できることを探そうとした。


わたしが多趣味なのは、できることは何だろうと模索した結果である。裁縫をしてポーチを作ってみたり、レジンやビーズでアクセサリーを作ってみたり、友達と文通して文章力を高めようとしてみたり、人よりも多くのマンガを読み漁ってみたり、水彩やマーカーやペンや油で絵を描いてみたりしたからだ。趣味ではないけれど他にも、ずいぶん前には電子ピアノをやってみたり、読書家になろうとしてみたり、英語は人一倍熱心に勉強してアメリカでホームステイしてみたり、煙草を吸い始めてみたり、オーバードーズをし始めてみたり、腕を切ってみたり、身体のいたるところにピアッシングしてみたり、知らない男の家に転がり込んでセックスしてみたり、女の子とセックスしてみたり。

人生経験ってほどではないけど小さなことでも何かしらを経験してきた。

自分は何が出来るかで自分を定義しようとしてきた。今も変わらずにそうであるように思う。「あれができる」「これができる」が、自己像が曖昧なわたしに安心感をもたらした。


できないことから逃げてきた。
パソコンから逃げ続けて、料理から逃げ続けて、ボーダーを発揮する対象から、ボーダーじゃない自分から、正気のわたしから、反抗心から、親から逃げてきた。
自己陶酔にたまらなく浸りたい。
自傷行為をする自分」を失うのが死ぬほどこわい。「薬をやめる自分」がとてもじゃないが受け入れられない。"そういう"自分が好きで好きで仕方なくて、"そうじゃない"自分はもう自分じゃないと思えるほどに、それほどに受け入れ難い。

薬をやめるのがこわい。離脱がこわいんじゃない。やめた自分が自分を保つことができるとは思えない。


わたしはいつも薬やめたいだの鬱がつらいだの言うが、いまの自分を実は結構気に入ってるのだ。ただもうちょっと激しい対人関係を築きたいなとか、もうちょっと腕ズタズタにしたいなとかは思うけど。

ボーダーに一番囚われてるのがわたしだなんて、すげえダサい