中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

「わたし」

 

わたしが今まで犯してきた罪を償う術を自傷行為以外に持たないと心得る反面、その償うべき罪が自傷行為であるのもまた事実で。

これ以上の矛盾はあるだろうか。

人は罪を犯す生き物で、わたしもその1人で、でももう犯したくないし、でも償わなければならない。

人、人、人、ヒト、ひと。


不安定な自己像も、慢性的な空虚感も、抑うつもちょっとした躁も、偏りすぎる思考も、自傷行為やODも、見捨てられ不安も、制御できない怒りも、人間関係も、ストレスやうまくいかない全てはこの疾患のせいだと責めたとしても、そもそも生まれもったディスオーダーなのだからもうどうしようもない。


薬を飲めば治りますよじゃなくって、この疾患とうまく付き合う術を身につけるのがゴールなわけで、それがパーソナリティ障害であって、やっぱりどうしようもない。


こんな疾患もっていたくなかったと、100%言えないのがわたしの弱いところなのではないだろうか。これに甘えて、理由にして、「どうせ」とか「仕方ない」とか、そういう言葉を言い訳に使いたいのが弱さだと思う。

でもだったら弱いままでいいとも思ってしまう。いつも前向きになどいられない。


「疲れた」が現在のわたしにぴったりくる言葉だと、いまは思ってしまう。