母方の祖母からの「またね」に苦しくなった
会う頻度が少ないし、本当にきっとまた会いたいと思ってくれているのが伝わるから
たった3文字の言葉に胸が痛む
嬉しいはずなのに、生きていないといけないことを自覚させられて、使命感みたいなものに苦しみを覚えた
もしかしたら他の人にとってはなんでもないような言葉なのかもしれない
なんて生きづらい感覚を持っているんだと自分のことが嫌いになる
でもそんな自分だから、必死な自分だから
きっと周りの人も、わたしが自傷行為も過量服薬も自殺未遂もせず凡庸な人間だったら、いまみたいに関わっていないだろうしそもそも関心もないだろうと思う
自意識過剰もいいとこだ
また元気な姿を見せてほしいという温かい思いが、わたしを生かしながらも殺す
本当に純粋な温かい気持ちなのに、上手に受け取れない自分が心の底から憎い
誰だって唯一無二の存在なのに、もっとわかりやすく唯一無二の存在でいたい
そのために、「死んでしまうかもしれない」が残念ながら「わかりやすい」