中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

つぶらなカボス がおいしいです

 

メランコリーに浸って謳歌する。言い訳がしたいんじゃないけど、自分に言い聞かせるように半ば無理やりそうするのは、知りたいから。なにを?って、知るかばか。いや、うそです。

何を知れるか知りたい。

 

以前 自殺企図した以降しばらくは、つらくてつらくて仕方なかったな。死ねないって分かったあとだったから、とにかく生きる苦しさに押し潰されていた。何もが少しの救いにもならなかった。なんにも。

 

みんなが歩んでわたしも歩めば 同じように進むことができるはずなのに、わたしだけが止まるから みんなだけが進んでいるように思ってしまう。スピードも歩幅も方角も歩み方も熱量もゴールも違っていいのに。
ただそれらをしないから、わたしだけが取り残されたみたいで、存在しないみたいで。

 

究極の美しさは「終わり」だ。

恋人と別れるときに吐く強気な言葉の美しさ
卒業して学生時代の思い出が閉じ込められる美しさ
もう二度と制服を着ないであろう美しさ
終わって、何かが新しく始まる美しさ
もう何も感じないであろう死の美しさ

 

だからきっと時々、死を美化してしまう。

手に入れられないものが美しく見える、そういう羨望は日常にありふれていて、死もそのひとつだ。

 

欲しいものを手にすればするほど、「欲しいもの」を故意に決定し、本当にそれが欲しいのかどうかわからなくなる。

現代はたまに狂っている。だからこそ成り立つこともありますが…。

 

自分が何に苦しんでいるのか本当はわかってない。事ある毎に理由付けするが、ほとんどの場合わかってない。脱したいのかもわからない。よく「本当はやめたいって思ってるんだよね?」って聞かれるけど、本当に答えがない。わかってほしい。なんにもわからないんだよ。何がツラいんじゃなくて、わかんないからツラい。わかれ