中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

ばぶう

 

劣等感を抱き人を見上げる位置に自分を置いた時、それはその誰かを認め優越した位置に置いたのと同義である。要は、優しさなのかもしれない。

 

誰がためのセンチメンタル。

 

時間や命、有限だからこそ愛しい。これらがもし永遠なものだとしたら、その美しさに人は気づかなかっただろう。人生を、幸福を、生を死を、科学することも哲学することもなかったように思う。終わりは、あるべきだ。寿命、あるっちゃあるけども。
だから思うのは、「100歳まで生きる時代」って、本当に幸福ですか?おい、アフラックきーてんのか。やっぱり嫌いかもしれない。現代は医療のおかげでなかなか死ねない。年老いるとおそらく体の自由は奪われてゆき、健康も損ないながら、それでも息が続く。別に絶対に悪いとは言わないですよ、孫や曾孫を見れるかもしれないし長く生きる分多くの経験から多くの学びを得るだろうし。
でもやっぱり、終わりを先延ばしにして永遠に近づこうと手を伸ばす、人類にそれを発揮することが絶対的な正解には思えない。なんのためにそんなにも生き永らえるのか。70で80で90で、息絶えては駄目なのか。いやまあ駄目じゃないんだろうけどさ。無理して病気に抗わなくていいし死にゆくのに抗わなくていいと、わたしは思うんだよ。


終わりの始まりともよく言うものだし。なにかの始まりかもしれないならば、終わりも悪くはなくないか。

50,60,70になったら、長生きしてーなって思うのかな。分からないけど。てか「イマ」一生懸命に生きてないから、長生きをネガティブにしか捉えられねえな。

 

語り散らかし