中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

がきんちょ

夜が連れ去ってくれるのは、少しの絶望と、なんともいえないエモーショナルな感情と、曖昧な考えと、外界からの肯定とそれでいて遮断と、プラスではないかもしれないけれどないよりはあった方がいいよなぁという気分です。

 

本当の本当にガキの戯れ言ですよ。
世間に身を置いて汗水流して労働した経験はほぼゼロ。サークルなどに所属し多数の人とコミュニケーションを図ったこともないです。そんな人間が何を語ろうが、説得力なんてミジンコ程度もありはしないです。色んな人が支えてくれて励ましてくれて、でもわたしは誰のお役にも立てない。立とうとすることさえ傲慢な気もしてくるね。

 

「生きてる意味」とか考えたって無駄なことは知ってるんだけど、それでもわたしは考えないといけないんだよ、なぜなら、「生きる」ことができてないように思うから。


今日ひとつ嬉しかったのは、ハンドメイドアクセサリーを置いてもらってるお店から売上が振り込まれていたことです。薬に消えますが。これも絶望に換える。主体的にそうするのって、身体だけじゃなく心も自分で罰したいんだと思う。罰することに忙しいなんて。思うに、なにかあれば他人なり法律なり外側から罰を受けるので何もしなくたっていいのに、なんで自分から喰らいにいくんだろうな。切ねえ。

 

死は救済ではない。先に逝く人らを讃えるのはよくない。ヒーローでもなんでもない。一歩踏み出す勇気なんて、そんなのに使っちゃいけない。「勇気と無謀は異なるもの」って雪比奈が言ってた(コードブレーカー参照)。「死ねばラクになれる」というのは本当は嘘で、でもそうやって思い込まないとやってられないんだよ。最期の最期まで希望を持っていたかったんだよ自殺した人はみんな、きっと、そうじゃないと報われない。誰のためでもなく、自分のためです。

 

わたしは真理を知っている。全部分かっている。だからこそもう何を求めればそれが救いになるのかわからない。底を尽きた気分ですよ。もうどうしようもない。

 

どうでもいいことひとつ。火曜日、処方箋ODしてあまりにも意識朦朧として真っ直ぐ歩けなくて、一コマ分保健管理センターに行ってベッドで寝てたんだけど、居心地よすぎて草。入り浸りそうでした。

 

終わり