中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

精神安定剤としての

 

過量服薬は、娯楽でもなければ自傷行為でもない。

わたしにとってそれは精神安定剤であると自覚したのはついこのあいだのことだ。成分とか効果じゃなく、飲む行為自体がわたしを安心させることに気づいた。これは精神依存だと思う。

 

誰も止めてくれないし、誰かが本当にやめてほしいのであれば取り上げればいいのに、誰もそうしようとはしないのは少し寂しい。でも取り上げてほしいやめさせてほしいっていうのは甚だ傲慢な話であって、だってわたし自身がやめようとしないのだから、人に期待する資格なんてない。

そんなことはわかってるんだけど、でもやっぱりどこかで「自分ではどうにも出来ない」という諦念を「誰か」が覆してくれないかと思ったりするわけである。

 

たぶん「飲みたい」も「飲みたくない」も本音だから、どうしたらいいかわからないんだと思う。「飲みたい」を完全に消して、「飲みたくない」って100%思う努力をしたいけれど、どうしたってわたしの脳はそう思ってくれないみたいだ。

自分のことを自分が諦めているのは、本当はやっぱり少しだけ悲しい。

どうしようもない人間だな。