良いことがあったとき、災難にあったとき、都合良く「そういう運命だったんだ」。
事象をめいっぱい愛せばいいのに、めいっぱい憎めばいいのに
なぜ偶然を必然に置き換えたがるんだろう
必然であれば、「そういう運命」であれば、何事にも納得がいく気がする
都合の良いときに運命に感謝したり運命を憎んだりする
祈ったり押し付けたりできる、抽象的な偶然を運命という具体的な必然に置き換える
あたかも「何か」がそうさせた
わからないことは怖いから
未来が定まっているだなんて、だったら今までの自分の意思は、これから生まれる意志は、どこにあるんだろう
定まった流れに頼る
定まってしまっているとしたら
今までもこれからも、絶望的な気がしてくる
でも運命がないと希望を感じられなくなるのかもしれない。いや、それも含めて全てが運命なのか。
この文章を書くことすら定まっていたのかもしれないし。