中原ぬこさん

言葉で遊びましょう

物事は3次元

 

経血がわたしの下着を汚す度に、女性はなんて不利なんだと思います。

その下着を捨てることになって、費やさなくてもいいお金をそれに費やすから。

女性が社会進出等で声を上げて男性を追い込もうとする度に、男性はなんて不利なんだと思います。

「女性は働かずに家庭に入るべき」というステレオタイプをつくったのが誰であれ、それと同時に「男性は外に出て働くべき」というステレオタイプもまた作り出されていたにも関わらず、そこには焦点が当てられないのは、女性が社会に出たいと声を上げているからです。そしておそらく働かずに家庭に入って家事をしたいという男性もいるとは思うけれど、少数ではあるようです。


わたしたちが3次元に生きている限り、この世の全てもまた3次元的に存在しているはずです。

物事には、表があれば裏があり、さらに側面だってある。

見えない部分は、見ようとしなければ見えないだけで、見ようとすれば見えると思います。

たしかに見えないものは怖いし時に信用ならない。けれど、大事なことであるならば、解らなくてもせめて見て言葉で表すくらいはするのが、見る責任だと思います。

けれど逆に、大事にしすぎて裏側や側面が誰にも見えなければそれが一番いいと考える人だっています。

最初から責任を負わないように、物事を2次元に隠す行為も別に咎められるわけではない。

誤解は生ませない。相違を感じさせたくない。そう思って、立体の見えない部分を点線でさえ表さないよう、わたしの心は不透明で2次元的に見せている。